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2012年11月21日水曜日

可能の王国は築けるか?~ペイ・フォワードの教訓

先日チャットをしていたら、友人が「ペイ・フォワード」という映画の話をしてくれました。

この映画のあらすじとしては、

一人の少年が、まず、3人に対して何か良いことをしてあげます。その3人は、その少年に恩を返すのではなく、全く別の3人に良いことをします。それを受けた3×3人は、また別の3人に良いことをします。その3×3×3人は、また別の3人に… 

こうして、たった一人から始めた善意は膨大に拡散していき、やがて世界を埋め尽くすだろうという考え方にそってストーリー展開がされていきます。

いわば、ねずみ講の善良版ですね。
(注:ねずみ講との決定的な違いは、利益がバックされず、常に前方にのみ進むことです。このため犯罪のモデルとしては利用しにくくなります)

友人とチャットをしながら、なかなか面白そうな映画だなと思ったわたしは、ふといたずら心がわいたので、「なんで3人かわかる?」とたずねました。

彼が「わからない」と言うので、わたしは以下のように答えました。



 人間はそもそも、善であるか、悪であるか? 
 わたしの答えは、「善人もいれば、悪人もいる」である。 
 その善悪の度合いこそ様々であろうが、世界が善意に溢れてはいないし、かといって悪意にも満ち溢れてもいないことから考えると、おそらくその比率は半々だろう。
 つまり、あなたの隣にいる人が善人である確率は1/2だし、悪人である確率も1/2だ。 
 無償の善意に対峙したとき、善人は感謝するが、悪人はお人好しとあざ笑うだろう。 
 もし仮にあなたが無作為に他者に対して善行を施し、別の他者に対してその行為を伝えるように促した場合、その人がそれに対して感謝の念を抱き、他の誰かにそれを伝える確率は1/2となることになる。
 つまり、2回に1回は伝わらずに途切れる。

 仮に伝えるのが1人であった場合、その次に伝わる確率は1/2、その又次に伝わる確率は1/4、その又又次は1/8…と、どんどん少なくなっていく。つまり、確実にどこかで途切れる。 
 では2人であった場合はどうか? 確率どおりにいけば、2人のうち1人が伝え、1人が伝えないので、常に1人が1人に伝えていくことになる。これではただのバケツリレーで絶対に拡散するはずがなく、世界を満たすことは不可能だ。 
 これが3人になるとどうなるか? 2人に1人が次に伝えるので、3人に行った場合は1.5人が賛同して次に伝える運動に加担する。1人がこの運動を行うと1.5人が次に伝えるわけだ。つまり、1.5×1.5×1.5…というように、1.5の累乗で伝わる人間が増えていき、次第に拡散する。 
 理論値では、10回の伝達が行われた場合57.6人、20回で3325人、30回で19万人、40回で1100万人、50回で6億4千万人、56回で72億人になるのでこの段階で善意が地上を席巻する。(正確には半数が悪人という前提なので、55回目以降は同じ人同士の善意のループになり、これ以上拡散しない。また、これは延べ人数である)
 4人以上であれば、より少ない伝達回数で済むことは、これ以上説明するまでもないだろう。

 しかし、見返りを求めない行為というのは言うだけなら簡単だが、実際に行うのはかなりの負担だ。皆、自分が生きていくのに精一杯で、他人に対する思いやりはなかなか持てないのが現実世界であり、それが、全く見ず知らずの赤の他人に対してであればなおさらだろう。 
 だから、出来るだけ沢山の人に伝えようなどということは望むべくもない。 もしどうしてもしなければならないのであれば、可能な限り少ない人数の方が良いことは明白だ。 
 この運動は、次につなげながら拡散させていき最後は全てを埋め尽くすことを目的としているので、次につなげようという意思そのものを阻害してしまうような人数であってはならない。 
 これらを考慮すると、3人という数字は、個人の負担を極限まで減らしつつ運動を確実に拡散させていくための必要最低限の人数であるということが結論付けられるのである。
 以上が、わたしが考えるマジックナンバー“3”の意味だ。

そうすると、友人が「でも、人間はそう簡単に善人とか悪人とか区別できないよね?」というので、わたしはこう答えました。


 仮に人間が善でも悪でもないとする。 
 その場合、人の行いはその時点でのその人の境遇と心理状態に左右される。 
 その人が上機嫌か幸せであれば、恩を受けたらそれを誰かに伝えることはやぶさかではないし、不機嫌か不幸であれば、なかなかそれはかなわないだろう。 
 幸せという概念は人それぞれに価値観が違うので、裕福であっても不幸だと感じる者もいれば、貧困でも幸福ととらえるものもいてその経済状態では判断できないから、これを理由としてどちらかに偏ることはないと考えられる。 
 常に不機嫌な人もいることはいるが、同じように常に上機嫌な人もいる。そういう特異な人を除くと、大抵、人は上機嫌であったり不機嫌であったり定まらず平均する。 
 つまり、やはり次の人に伝わる確率は1/2だ。




チャットをしながら、「ああ、これ、ブログのネタになるな…」と思っていて、今日、時間が空いたのでDVDを借りてきて初めてみました。

女性と関係を持ったことがない(おそらくデートもしたことがない)先生が、少年の母親に会いに行くために、ブラウンのスーツにおおよそ合わない白いスニーカーを履いて行ったり、学のない母親が先生のしゃべり方に対して自分が見下されていると勝手に思い込んで劣等感を感じたり、アルコール依存症患者のDVとその被害者の関係が深く関わっていたりと、本題としての善意の伝達とはあまり関係のないところのストーリーや描写の作りこみにまでこだわりを感じる、素晴らしい映画でした。



 この記事を書くにあたり、他に同じことを考えている人がいないかと思い「ペイフォワード "なぜ3人"」という検索ワードでgoogle検索してみたところトップがこれ(http://blogs.yahoo.co.jp/keiichih2002/47768891.html)でした。

慧君さん、納得いただけますでしょうか?

他にはヒットしせず、2000年の映画の割に誰もこれについて論じていないので、そこはあまりこだわるところじゃないのかな? などと不安になったりもしました。("どうして3人"で1件ヒットしましたが、必ず伝達が行われるという仮定に無理があるので、記者の名誉のために引用しません)


それから、こんな投稿も見つけました。



はじめまして  投稿者:梅ちゃん  投稿日:2007年 2月 3日(土)18時14分17秒 
何度もみました。。。。。
でも 最後なんでああなるわけ? 
なにを言いたい映画だった?
「社会の抑圧」?「AC」?「社会の歪み」 
http://8726.teacup.com/payforward/bbs?page=9



この記事を書いた後で調べた映画評論サイトの掲示板では物語の結末に憤りを感じている書き込みが非常に多く見られました。

この疑問は極めて重要なので、これに対するわたしの見解を述べて締めたいと思います。


 前述したとおり、世の中には善人もいれば悪人もいます。 
 もしあなたが目の前の人が善人であるか悪人であるか判断できるのであれば、善人だけを選んで可能な限り沢山の人に善行を行ってください。 
 しかし、残念ながら、あなたにはその判断は必ずしもできないでしょう。 
 悪人というのは、あなたが彼、あるいは別の者に与えた善意、ないしは行った善行を快く思わず、時にあなたに対して危害を加える場合があることを忘れてはなりません。
 あの結末は、これに対する警告です。 
 もう一度言いますが、この運動の目的は、善意を次に伝えることで拡散させていき、しまいには世界を埋め尽くすことです。その遂行には、確実に3人に伝えることこそが重要となります。 
 あなたが善人であるにもかかわらず、あなたが伝えるはずであった人に伝えられずに倒れたなら、この運動の拡散速度は確実に減速します。ですから、決して無理をしないでください。無理をすればそれだけ、理想の実現が遠のきます。 
 恥じるべきはしようとしないことであって、出来なかったことを恥じてはいけません。 
 あなたに出来ることを、あなたの出来る範囲でなおかつ“確実に”やる、それこそがこの運動にとってとても重要なことなのです。




(Please forgive the mistakes in English.)


The other day, When I had chatted with my friend, he told me about a movie "Pay it Foward".

The story of this movie,

First, A boy do something good for other 3 people, then they do something good for other 3 not for the boy.
So, they 3 x 3 people will do something good for other 3 too. Moreover, 3 x 3 x 3 people are do something good for....

Thus, the goodwill spawned by only a boy is spread guradually, Finaly, it will cover all of the world.

The story progress with this way of thinking.

It is just like benignant ponzi scheme.

While chatted with my firend, I thought that "It looks interesting.", and wanna play a prank on him, I asked him that "Why 3 people, do you know?".

He said "I don't know.".

Then I said as follows.


In the first place, is the human good or evil? 
I think that someone is good and someone is villain. 
The extent of goodness or evilness is differernt, but when I think about that the world is not filled with goodwill and not filled with evil to, I think that the ratio would be half and half. 
Namely, the probability a person who standing next to you is good is 1/2, alternatively, probability of evil is 1/2 too. 
If someone meets a goodwill ask no favors, good people will appreciate it, but evil will sneer. 
If you do something good for other randomly, and prompted to do it to someone else, the probability he do it will 1/2. That means, if you do twice, one will be not performed. 
Provisionally, if the number of people transfer the goodwill is only one, the probability that transmit to the next is 1/4. and next is 1/8, and next is 1/16.... It will be getting less steadily, break somewhere surely. 
How it will be if it is two? If the probability works exactly, one transfer to other, but one doesn't it. As a result, the number of people transfer the goodwill is always only one. This is just a bucket brigade, never spread. 
So, what happens when this becomes three? one of two will transfer, so 1.5 of 3 will agree to take part in this strange movement. 
In other words, one do this, 1.5 people transfer it to the next. Namely, 1.5 × 1.5 × 1.5...,  the number of people who is receive the goodwill will be increased by power of 1.5, and it will be spread. 
In theory, do 10 times transfer, 57.6 people recive it. In 20 times 3325, 30 times 190,000 people, 40 times 11,000,000 people, 50 times 640,000,000 people. At 56 times do it, it will be 7,200,000,000 people, and the ground is dominated by goodwill.
(In the assumption that evil is half of all, it will not be spread more after the 55 times because there is no good people other else.) 
If 4 or more, It is clear that the number of times we need is fewer. 
But the act that does not require a return is hard work usually. In real life, everyone can not afford, having compassion to others is difficult comparatively. If it is for quite stranger, it would be more difficult. 
So, There is no hope to transmitted to as many people as possible is. If we must transfer, the number of that we transfer should be as little as possible. 
This movement is intended to be filled all of the world at last by transfer to next continuously, it must not be too much enough to inhibit the willingness that we transfer to the next. 
When I think of these, 3 is the required minimum number, as much as possible to reduce the burden on the individual, to transfer to next surely. 
This is my conclusion of magic number "3".






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