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2012年11月10日土曜日

人間は考える葦であるか?~機械の体を手に入れた人間の話

以前働いていた地方出版社で、非常に脱力する原稿と出会ったことがあります。

とある資格試験用の問題集の原稿なのですが、「このように組み版してください」と回ってきたもので、嘆かわしいことに編集のチェックを通過したものです。(組み版【くみはん】=印刷用の版をつくること、現在では電子データとなっている)

■125ページ 問題4すべて差し替え(←編集からの指示) 
問題4 トレーニングの強度の指標に用いられないものはどれか。  
a. %VO2 max
b. DLW
c. ワット
d. メッツ  
ア a イ b ウ c エ d  
解答 イ
解説 b. DLW:二重水素

どうやらこれは比較的頭の良い人と、比較的頭の悪い人という両極端が陥りやすい罠で、この両端の人は何が問題なのか気づかない事があります。普通の人は案外、すぐにこの問題文のおかしさに気づくかもしれません。



2006年のことですが、WEB業界で働く人たちの集まりで「『わかりやすさ』を実現する 認知心理学からの情報デザイン入門」というセミナーが開かれました。

このセミナーで、講師の方が出した問題の一つが、次の図のようなものでした。


【問題】 このグラフのおかしいところを挙げ、正しなさい。(図1)


(実際のグラフはもう少し違ったと思いますが、もう詳細は失念してしまいました)

これは恐らく、この問題だけを見ても答えはでません。セミナーの趣旨を加味しないと正解には辿り着けないでしょう。















答えはこうでした。(図2)



図1では、各グラフに対してA、B、Cという記号を割り当て、それぞれが意味する内容を別に示して対比させることでそのグラフが何の推移を示しているかを見る者に伝えようとしています。このように、各系列のタイトルをまとめたものを「凡例(はんれい)」と呼びます。

凡例は多くの図で用いられ、とても一般的です。ですが、果たして本当に凡例は必要なのでしょうか?

図1と図2を比べていただければ、どちらが分かりやすいか一目瞭然ですね。わざわざパソコン、テレビ、車をA、B、Cに置き換える、必然的な理由というものがこのグラフには存在しないのです。にもかかわらず置き換えを行っているので、このグラフを見る人は脳による無駄な「認識の置換処理」を行わなければならなくなります。

さらに図1では、凡例がA パソコン、B テレビ、C 車の順であるのに対し、グラフの方はA、C、Bと順番が入れ替わっていて、分かりにくさを一層増しています。この例では3つしか項目がないのでそれほど気になりませんが、仮に10ほどの項目があったら、グラフとタイトルの対比をするのはとても煩わしい作業になるでしょう。


冒頭で挙げた問題文のおかしさについて理解できなかった方でも、もう理解できるのではないでしょうか?

あの問題はこのグラフと同じ、極めて無駄な変換を行っているのです。


問題4 トレーニングの強度の指標に用いられないものはどれか。  
a. %VO2 max
b. DLW
c. ワット
d. メッツ  
解答 b
解説 DLW:二重水素


これで良いですよね?

以前テレビで見たお笑い芸人のコントに、

次のうち正しいものを選びなさい。 
A. b
B. c
C. d
D. e

というネタがあり、思わず笑ってしまったことがあります。

お笑いのネタになるくらいですから、凡例に代表される情報の置き換えを用いることの理不尽さを、実は、かなり多くの人が無意識のうちに感じているのではないかと思います。それはとても機械的で、人間的ではないからです。

私は図1、図2のグラフ作成にあたって

Adobe Illustrator  http://www.adobe.com/jp/products/illustrator.html

というソフトを利用しました。商業印刷の場で利用されている、いわゆるプロ向けの本格グラフィックソフトウェアです。
(本来はこの辺にAmazonのリンクバナーを貼って収益を期待するのでしょうね…)

ですが、普通の人はグラフというと、大抵はパソコンを買ったときに既にインストールされているMicrosoft Excelを使って作成すると思われ、必然的にそのテンプレートに従ったグラフになり、その結果、あたりまえのように凡例がついたグラフが出来上がることになると思います。

そういったものを常日頃からみていると、「グラフとはこういうものだ」と錯誤が生じてしまうのではないでしょうか?


もちろん、凡例が絶対にわかりにくいというわけではありません。複数のグラフを列挙する場合などは凡例を作成した方が状況を把握しやすくなることも十分に考えられます。大切なのは、今作るその情報は「他人に理解してもらうために作られるものである」という極めて根源的な作成動機を認識することです。理解してもらうために作られるものであるならば、当然、その理解を妨げるような情報形態であってはならないはずです。



ただ、たとえ分かりにくいということが明白であっても、そうせざるを得ないケースも存在します。

出版社在籍時に受託した仕事で、地図の3つの領域に異なる網掛け処理を行い、その網について凡例を作るように指示されました。領域は地図に対してかなり広く、単純なものでした。埋蔵文化財センターが作成する発掘報告書です。

この地図で凡例を作る必要性は全く感じられなかったので、営業経由で「領域に直接ラベルを記述した方がよいのではないか?」と、問い合わせてもらいましたが、帰ってきた答えは「凡例を用いてください」ということでした。


原稿と提案のイメージ


(地図はgoogleマップをキャプチャし引用しました)


官公庁の仕事では「万人にとってどうあるべきか」はあまり求められておらず、「規範に合っているか」「書式に則っているか」ということが重要なのだなと再認識することになりました。

埋蔵文化財の発掘報告書というのは、沢山の人に知ってもらうために作られるのではなく、事実をありのままに後世に残すことが目的であって、そこに分かりやすさは求められていないようです。もし、その事実を世に広く知らせたいと思ったなら、そのときに初めて、その「事実」の蓄積を再編集しなおせばいいのでしょう。再構築するなら、決まったフォーマットでデータが蓄積されている方が都合がいいのです。(印刷物なので、ソースデータとしての価値はほとんどありませんが)



さて、冒頭の問題文に話を戻します。

では、なぜあのような無駄な置き換えを行ったのか、ということですが、極めて単純です。この資格試験で出題される問題の多くが、次のような複数選択の形をとっているからです。


集団の健康指標として正しいものはどれか。 
a.高齢者の多い集団では、死亡数も増加するので、異なった年齢構成の集団
間での死亡率の比較は意味をもたない。 
b.生後4週間未満の死亡を乳児死亡といい、母体の健康状態、環境衛生、生
活水準に強く影響される。 
c.平均寿命は0歳の平均余命を表し、集団の死亡状況を表す総合的な健康指
標である。 
d.有病率とは単位人口に対する一定期間内に新規に疾病異常者となったもの
の割合を表す。 
 ア a・b  イ b・c  ウ a・c  エ a・d


あの無駄な変換は、こうした雛形を何も考えず機械的にそのまま適用した結果なのです。

「何も考えていなかった」 ただそれだけのことなのです。




自分の行いについて、「なぜこうするのか?」「これは正しいことなのか?」と、常に問いかける姿勢がとても重要なのではないかと改めて感じさせられるところです。














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